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仕事も一段落(勘違い)さあ川崎22日早朝、スケッチブックと参考書を抱え川崎へ首都高を降り15号を六郷橋手前で左折、ついでだからと墓参りのつもりで「眞光寺」へ。
墓参を済ませ車に乗るところでバッタリ御住職に、、、 3月母の葬儀、また昨年祖母の50回忌の際のお礼等、、「はなし」はどこからか「眞光寺」の歴史へ、寺伝によると治承三年(1179年)出羽の国荘内鶴岡に一宇を建立したのがはじまりと、慶長元年(1621年)品川郷に、その後江戸浜町に移転本願寺の塔頭寺院に 明暦三年(1654年)有名な明暦の大火により築地へ昭和4年現在地に移転したとの事 ここ六郷萩中は大きな寺町、モダンな寺院建築の多いなか「眞光寺」の歴史を感じながら六郷橋へ。
川崎宿の最大の名物は万年屋の奈良茶めしであったという万年屋は当時、たいへん信仰めていた川崎大師へのわかれ道にあったそうだ。 江戸からの参詣客は宿場に入る手前で「大師」道に折れてしまうため六郷の渡しに近いほど茶店は繁盛したとある。また江戸時代、ほとんどの旅行記に万年屋の茶めしは紹介されている。
「東海道中膝栗毛」の弥次さん、喜多さんも
ここで茶めしを食した、「なら茶をあり切り、さらさらとしてやり、おはちを空っぽに」と記述されている。大繁昌した万年屋もいまは現存せず、跡地に説明板があるだけ。
ここから「大師」へと向かう時、携帯が鳴った。クライアントから、、「絵」はまだですか! 慌てて習志野へ引き返す。
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